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『被害の分かれ目は2000年基準の住宅』By中西 2024.04.05
能登半島地震が起きてから3ヶ月が過ぎましたが、こちら関東でもなんとなく地震が多いように思います。
又、先日は台湾でも大きな地震があり被害が日に日に拡大しています。
今年に入ってからエムアンドエー設計にも耐震診断の問い合わせが多く、宮崎がボランティアとして参加している柏市の耐震診断相談会も申し込みが殺到しているようです。
そんな中、日経クロステックでこんな記事を見つけました。
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木造住宅の建築年代で被害の大小が著しく異なった。
現行の耐震基準、いわゆる「2000年基準」の住宅は外観上、ほぼ無被害だった。
1981年以降2000年以前に建てられたと見られる住宅は、倒壊するものもあった。
「今回の地震ではびくともしなかった。基礎がほんの少しひび割れただけだ。内部にも目立った被害はない」。
こう話すのは、石川県輪島市門前町道下(とうげ)地区にある2階建ての木造住宅の住人だ。
基礎のひび割れは、目をこらさなければ分からないほど軽微だった。
取材班が現地でヒアリングしたところ、2000年以降に完成したという。
周辺では1階がつぶれたり、全体が大きく傾いたりした古い木造住宅が並ぶ。
そのなかで、比較的新しいこの住宅はほぼ無被害で立っていた。
能登半島地震の被災地では同じような光景を何度も見かけた。
1981年以前に建てられたと見られる古い建物が能登地方で甚大な被害を受けたことは、研究者などの現地調査で報告されている。
そこで、取材班は81年以降に建てられた新耐震基準の建物被害を調べた。
取材したのは、道下地区と石川県穴水町だ。
これらの地域は、2007年の能登半島地震で最大震度6強の揺れを受け、大きな被害が発生した。
そのため、被災後に建て直した住宅も多く、建築年代で比較しやすい。
まずは2000年基準の住宅被害を見てみよう。
道下地区では07年の地震後、復興に向けた災害公営住宅の整備が進んだ。
2階建てや平屋建てなどタイプの異なる住宅計10棟ほどが新しく立った。
能登半島地震による地盤の変状で少し傾いた住宅があったものの、いずれも外観上の被害はほぼ見られなかった。
穴水町も取材したが、2000年基準と見られる住宅の中で倒壊したものは確認できなかった。
上の写真は、道下地区にある木造2階建ての災害公営住宅。下の写真のように、徒歩1分圏内には大きく壊れている比較的古そうな住宅も複数あった。2024年2月14日撮影
耐震基準とは?
耐震基準とは、建築する建物に対して、建築基準法や建築基準法施行令などの法令によって国が定めた「最低限満たすべき地震の耐性基準」のことをいいます。
耐震基準は大きな震災が起こるたびに改正されており、新たに住宅を建てる際は、現行の耐震基準を満たすことが必要です。
建物が倒壊しないような基準、人命を守ることに重きを置いた基準などとアップデートされています。
耐震基準は1981年以前・以降、2000年以降と、大きく3つの時期に分けられるのが特徴です。
1981年5月以前に建築された建物を「旧耐震基準」、1981年6月以降の基準で建築された建物のことを「新耐震基準」という表現で区別されるようになっています。
その後、1995年に発生した阪神淡路大震災の甚大な被害を目の当たりにし、さらに耐震基準を見直すこととなり、2000年にも基準が見直されました。
2000年の改正によって設けられた基準は、「2000年基準」や「新・新耐震基準」と呼ばれています。
2000年基準は、新耐震基準で建築された多くの木造住宅が1995年の阪神淡路大震災によって倒壊・半壊したことをきっかけに、新耐震基準の弱点を強化し、木造住宅をメインターゲットとして制定された基準です。