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アメリカの住宅様式 スパニッシュ・コロニアル by宮崎
都市部以外での不動産・流通
いまでは時代も変わり考え方も変化していますが、以前のアメリカ人は、社会的な立場に合わせて移り住むのが一般的といわれていて、アメリカの不動産の世界では最初に家を取得する顧客を「ファーストバイヤー」、昇進に伴って課長クラスになると「ムーブアップバイヤー」、経営的な仕事に係れる部長クラスになると「ラグジュアリーバイヤー」、そして子供がすべて巣立ってリタイヤ―後には「エンプティネスター」という顧客階層を設定して営業活動をしています。
郊外の中古住宅の流通が多いのもこうした社会的なモビリティの高さが背景にあるからといわれていて、さらに中古住宅の販売活動には量だけでなく、質の面においても日本よりも深みがあります。アメリカの住宅は、古くても由緒正しければ価値があるといわれています。
由緒正しいとは「建築様式」のことで、居住が可能でかつ建築様式の明確な特徴を兼ね備えた住宅は「アンティーク・ハウス」 、又は「ビンテージ・ハウス」などといわれ、物理的な価値を+αとして評価されます。
そうした建築様式に関する知識は、不動産のセールスマンの教育にも行き届いているそうで、アメリカの不動産営業マンのブログでは「あなたの家は何歳?」などと問いかけ、顧客が自分の家の由緒を判断するための住宅様式の特徴と時代解説を専門的かつ分かりやすい情報で提供しています。このことは、アメリカにおける住宅の価値は物質的品質や性能だけでなく、文化的価値として建築様式が中古住宅売買時に問われているということなんです。(出典:ツーバイフォー協会)
以上を踏まえて現在での住宅やアパートメントなどとは一味違う‘古き良きデザイン’を紐解いていきましょう。
まずは‘コロニアル’という言葉
住宅建築をかじっている方にはコロニアル=石綿スレート・屋根材?なんて思われるかもしれませんが、コロニアルとは‘移民’を指します。新大陸に移民した人たちは、ヨーロッパの母国の延長として上陸した場所(セントオーガスティン・ニューメキシコ・南カリフォルニア等)で各々の国の人が地域社会を形成し、新しい気候風土の中で得られる材料を用い、母国の生活知恵を使って様々な工夫をこらして家を建ててきました。
そしてアメリカが独立する以前のそれらの建物をアーリー(初期)アメリカン建築、またはコロニアル住宅といいます。ゆえに、アメリカには移民してきた国の数だけ建築の種類があり、同じ国でも気候風土が異なれば建築の姿も違うというわけです。
この植民地時代の住宅は、アメリカ人にとっては自分たちの文化のルーツでもあり、そのために現代においても様々な形でリバイバルやネオ住宅として登場してきます。それらを理解するためには植民地時代の住まいから今日に至る歴史的な経過のなかで理解する必要があります。
スパニッシュ・コロニアル様式
‘スパニッシュ・スタイル’は、19 世紀末から20 世紀前半にアメリカ全土で流行しました。
アメリカ大陸におけるスパニッシュ様式はスペイン植民地時代のフロリダ、ニューメキシコ、カリフォルニア における建築を基にして生まれ、カリフォルニアでは「ミッション」、「モントレー」などを含めて認識されています。
現在ではスパニッシュ・スタイルの影響を受けた「プエブロ」辺りまで含めた建築デザインの総称となっています。
形態的には、厚みを感じさせる外壁、アーチ開口、明色のスタッコ仕上、緩勾配屋根の橙色スペイン瓦、鋳鉄や鍛鉄製格子などが共通した特徴です。
またスパニッシュ・スタイルは、どのような建築構造にも適応できる特徴があり、木造、RC造、レンガ造などの構造体に対してスペイン瓦やスタッコ壁、鍛金格子、壁飾りタイルなどの部材と適切な納まりを与えればスパニッシュ建築らしくなり、そのデザイン展開にはきりがありません。
何となく土臭くて温かみがあり、形式にしばられない気安さが人間の感性を癒してくれる。住宅のデザインとして適応しやすいその特徴が、いまだにアメリカでは愛好されています。
最も古いフロリダでのスパニッシュ・コロニアルの歴史
フロリダは1513年にスペイン人に発見され、ラ・フロリダ(花の国)と名付けられました。
最初にアメリカ大陸に移住したのはスペイン人で、1565年までに2千人以上がフロリダに到着し、フロリダ半島の付け根にメキシコとの中継基地にもなるセントオーガスティンを築きました。
入植時はセミノール・インディアン(フロリダのインディアン)をまねて、椰子の葉を棒に結わえたもので屋根、壁を造る草の小屋でした。
温暖なところなので暖炉は必要なかったのですが屋内の空気を排出する屋根の空気口だけは必要で、17世紀にはイギリス風に壁を幅広板で家をつくりました。
ニューイングランド地方のケープコッドと同じように板を縦に張りつけ、当初の草小屋に比べてハリケーンには大分強くなり、この地方でたくさん取れたカキの殻を焼いて砕いたものを石灰の代わりにした塗り壁が登場しまいた。
スパニッシュ・コロニアルというとこの外壁が印象的です。
ハリケーンの多いフロリダでは、重さのある石造やレンガ造がスペイン人の望みでしたが、適した石材がないので「tabbyタビー」(灰色、茶色、ムラがある)というデザイン手法を考案します。
このタビーとはフロリダで産出する「カキの殻」を焼いて砕いた灰と砂利、砂を混ぜたコンクリートのようなもので、色むらのあるモルタル塗りの壁です。
雨の多いフロリダでフラットルーフの建造物ができたのは、外敵に対する防御上の必要性(防火対策)から適用されたように思われます。反面、夏の蒸し暑さから通風も考慮しなければならず、「レジャ」と呼ばれる木の格子出窓や2階には涼み台としての「ロッジア」と呼ぶバルコニーをつけるようになりました。2階の窓には通風のためのルーバーシャッターが、1階は防犯のためのレジャや鍛金製の面格子または飾り木製面格子や板戸の雨戸が付きました。
スペインの目的は、黄金や不老長寿の薬探しだったので、大陸の開拓のために内陸部のほうに生活圏を拡大しようとはしませんでした。1695年にはサンマルコス砦を築いたが、イギリスやインディアンとの争いや海賊の攻撃で町は何度となく焼失し、1763年から1783年間イギリスに占領された時に多くの建造物は破壊され、またイギリス流に改造されました。カキ殻を焼いた灰を混入したモルタル塗りのダビー壁は、重量ある壁体なのでハリケーンの強風には耐えられたものの、吸水性が高いので表面は塗装する必要がありました。
初期の塗装はカキの貝殻を砕いたものや石膏の白プラスターだけだったが、イギリスに占領された影響で、白だけでなくオリーブグリーン、砕きレンガを混入して塗る淡いピンク、濁ったブルー、黄土色、赤錆色等の多彩な色彩の街になりました。
1888年、鉄道と不動産王のヘンリー・フラグラーは東海岸に鉄道を引いて富裕層のリゾート地を開発。そして、スパニッシュ・ルネッサンス・リバイバル様式で華麗な旧ポンセ・デ・レオン・ホテル(現在はフラグラー大学の施設)を建設しました。
1920年頃、このフロリダのリゾート地で建築家アジソン・ミズナー(1872-1933)がスペイン・ムーア朝建築様式(アルハンブラ宮殿が代表例・イスラム調模様装飾・プール・噴水付)を大富豪相手に流行らせ、その後、フロリダ地方ではメディタレニアン様式に発展し、リゾート地としての雰囲気をさらに高める事となりました。
今日ではセントオーガスティンはアメリカで「最古」の都市といわれ、温暖な気候風土とスペイン植民地時代の建物と文化を資源とした観光都市となっています。(日本ツーバイフォー協会 出典)